全国遠州サミット




茶道遠州会副家元 小堀宗以氏の基調講演

  平成12年9月15日岡山県高梁市の文化交流館におきまして、全国遠州サミットが行われました。
当日は天候があまり良くなかったのですが、会場にはたくさんの人達が来られました。
副家元の「綺麗さびの感性」と題した基調講演。高梁市、長浜市の青年会議所の遠州を中心にした町づくりの
発表。そして、金谷町、長浜市、浅井町、高梁市と遠州にゆかりの町が一同に会してのパネルディスカッションと、
盛りだくさんに行われました。



 基調講演 (抜粋)
    「綺麗さびの感性」茶道遠州会副家元 小堀宗以


  かねてから遠州公ゆかりの全国各地の方が集うサミット的なことができないかと思っていた。
今日こうして第一回目のサミットが、遠州が若くして備中国奉行を務めた備中高梁で開催されたことを
心から喜んでいる。
  今回のサミットのテ−マである『いにしえの閃きを今輝かせる』を実現するためには、感性が大切な
キーワードになると思う。日本は物質的には豊かになったが、感性の部分が豊かになったかというと
疑問だ。例えば食生活を見ても、今は食材が豊富で残すことが当り前。私が子供の頃はお米一粒でも
残してはいけないと教えられ育った。もったいない、無駄にしてはいけないという精神からマナー(作法
)ができてくる。作法は作ろうとして作ったものでなく自然と育まれてきたもの。茶道のお点前でも、形
から入るから難しいと思うわけで、基本を探っていけば難しいものではない。基本はどこにあるかという
ことを一生懸命に探る気持、それが感性を磨くことに繋がり、根源を真摯に知ろうとする姿勢が大切で
ある。
 遠州といえば『綺麗さび』と言われるが、遠州以前の茶人がつくりあげたものに、遠州独特の感性を
加えたものが『綺麗さび』である。それまでの『わび』『さび』の世界は、無駄なものを徹底的に省き、そ
の人独自の感性で創り出されたもので、余人の入る隙間がなく極めて主観的なものだった。
それに対して遠州は客観性を持たせ、多くの人が共感できる、『艶(つや)』を与えた。その艶とは、
一つは国際性で、中国・唐物の文化が主流であった茶の湯を、日本風にアレンジし現在の姿に変えた
遠州の功績は大である。遠州の建築や庭園を見ると、日本古来のものと海外からの発想が組み合わ
されている。高梁の頼久寺庭園の刈り込みは、その代表ともいえ、遠州以前にはみられなかった、斬
新な手法を用いている。
 二つ目は季節感を大切にしていること。日本では茶道が確立する前に平安期の『 雅 』という独特の
文化があり、それを代表するものに和歌があった。大自然の恵みのありがたさを知り、季節感を自分の
心の表現に入れている。遠州以前の茶の湯にはそれほど季節感は大切にされておらず、それまでの
茶会では、亭主のその時々の思いが中心だったが、遠州は和歌を取り入れ季節感を用いて自分の思
いを表現し、第三者にも解りやすいものにしている。
 遠州の遺訓『書捨ての文(ふみ)』の中にも、道具は古い物だけが良いものではなく、新しくても人の
心を捉えるものは取り入れていく。古い物と新しい物を融合していく精神が肝要で、同時に数が多いか
らよいと言うものではなく、一つ一つを大切にしていくことが重要だと言っている。そして、いつ何時人が
訪ねてきても、まずお茶を一服・・・と、人を受け入れる心を持つことが茶の湯の根本だと言っている。
 また、織部は、個性ある道具を用い、物と物とが競合するような強烈な茶風だったと思うが、遠州は
一つ一つを調和させ、遠州の茶室に行くと居心地が良く気持ちが安らぐと言う面があったと思う。
それは、現代に求められている『 心の癒し 』に通じ、遠州の調和を愛する気持ちが、今後更にクロー
ズアップされてくると思う。
 日本人の心を生み出した大自然の恵みを大切にし、見極める目を持つことが人をもてなす、癒すことに
繋がると思う。こうした教えを残してくれた遠州の心を探ることが、高梁の二十一世紀のまちづくりのヒン
トになるだろう。