パネルディスカッション




コーディネーター
    国立民族博物館民族文化研究部教授  熊倉功夫氏

  ゆかりの地のお話を聞きまして、遠州没後三百五十年が大きな節目になっていたのを知りました。
利休、織部、遠州の三巨匠の中で、遠州はバランス感覚があるのが特徴。大急ぎで過ごしてきた近代の
向こうに何があるのかを考えると、一人一人の心の安らぎが求められる時代になっている。
戦国時代を経て訪れた平和な時代に優美な温かみのある世界を出現させた遠州が現代にもう一度、掘
起こされていいのではないか。遠州はわれわれが感性を磨く一つの指標となり、他のゆかりの地にも呼
び掛けて毎年、どこかでサミットが開かれるようになればと思います。


パネラー
    滋賀県長浜市立長浜城歴史博物館主幹  太田浩司

 遠州は長浜の地侍の家に生まれ、七才まで過ごした。没後三百五十年を機に当博物館の
「小堀遠州とその周辺−寛永文化を演出したテクノクラート」展を契機に顕彰機運が盛り上が
って「長浜遠州会」が発足した。茶道(三教室)、研究(月1回)の二部で市民ぐるみの活動に
取り組んでいる。
 幕府の京都および西国支配にあたっての遠州の活躍はその芸術性に裏打ちされたもので
当時、建造された城郭の多くにもかかわっている。
 人に人生があるように、土地にも人生がある。土地の人生を見つめ、未来を見つめていくこ
とが大事である。先人顕彰を大事にしたい。


    賀県浅井町立五先賢の館  北村忠男
   

 遠州は浅井町の近江小室藩(一万二千石)の初代である。同藩は六代続いたが、最後は
財政難で改易になってしまった。
 「五先賢の館」は滋賀県の近代文化の創造事業第一号として1996年にオープンし、遠州
ゆかりの「編み笠門」などを配した庭も作庭されている。
 郷土ゆかりの五先賢の一人として顕彰する遠州について、当初は町民もよく知らない状態
だったが、茶道遠州流奈良支部長に月二回来町していただいて、ご指導してていただいて
いる。今では、四人が準師範になるまでになった。私の大きな夢は、小室城跡で野点の大茶
会を開くことです。


    静岡県金谷町お茶の郷博物館館長  小泊重洋氏

  「遠州七窯」の一つに志戸呂焼があった金谷町は、全国生産量の半分を占める茶の産地です。
人口二万人の七割が茶に関係している。
  当博物館は三十億円を投じて1998年にオープンし、遠州作の茶室(京都伏見屋敷、岩清
水八幡瀧本坊)と庭園(仙洞院御所)を復元している。
  現代から見てもかなり常識から外れ、ある意味モダンである。遠州はサービス精神旺盛で、ユー
モラスな人。人間の幅が広く、人間観察も好きだったのではないでしょうか。
  遠州の世界を直接体験できる博物館に来場し、遠州に感化される人が出てくるのを期待しており
ます。


   
岡山県高梁市文化交流館学芸員  加古一朗氏


 毛利氏撤退後、領主空白の備中国に1600年(慶長五年)、遠州の父が奉行として入ったが
4年後に藤沢の宿(神奈川県藤沢市)で亡くなった。遠州は26才で重役に就き、小室藩主になる
39才まで検地や特産品開発に尽力し、この間、その能力が幕府から注目されるようになった。
幕末まで備中松山藩主を務めた板倉家もこの時代に京都を中心に文化の庇護役となっており、
幕府の体制強化に当って政治、文化の両面で高梁ゆかりの遠州と板倉二代が重要な位置を占
めた。頼久寺庭園を見ると、遠州が若いときから豪放かつ繊細な感性を持っていたことを感じま
す。